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「何でも禁止してしまうこと、何でも秘密にしてしまうことは、何度も言いますが、情報にアクセスする権利の侵害です。これは、国連人権委員会決議の原則ばかりではなく、欧州人権裁判所や米州人権裁判所のような地域裁判所でも、守られてきた考え方です。したがって、極めて明確に定義されたものです。」


表現の自由に関する国連特別報告者フランク・ラ・ルー氏のビデオメッセージ

(2014年3月10日、ジュネーブ。記録及び文字化:藤田早苗)

→English Version is Here  英語書き起こし、英語版活字つき映像はこちら

プロフィール(英語)

私の名前はフランク・ラ・ルー、国連人権理事会の表現の自由に関する特別報告者です。

この支援メッセージを情報の透明性を求め、秘密に反対し、情報へのアクセス(これらは非常に重要な事柄だと思います)を求めて活動を続けてきた日本の皆様、日本弁護士連合会、人権団体、そしてすべての個人の方々にお送りします。

私はいつも皆様に申し上げるのですが、表現の自由はわれわれが二つ方向で行使する権利です。一つには、どのような情報に対してもアクセスできるということ。つまり、科学、文化、犯罪捜査、また特に公共の情報に対してです。二つ目のレベルでは、それ(表現の自由)はあらゆる手段を介して情報を発信することによって、自分の考えを広める権利です。

しかし、情報にアクセスする権利と表現の自由の間には、意見と思想の自由というものがあります。

私たちは気持ちや意見を、情報を得ることによって形成するのですが、そのようにして形成した自分の考えに基づいて、自分自身の立場を表明します。ですから、情報を得ることは非常に重要で、これによって、現実に、必要な時にいつでも情報に基づいた意思決定を行うことが可能になるのです。私が思うには、情報へのアクセスは、例えば、民主主義社会の市民の参加のための市民権に必要不可欠なものです。そして情報へのアクセスは、汚職とたたかうための透明性に有効であるばかりではなく、政策一般がどういうものであるかを知るためにも、有効です。

人々が公の情報や情報へのアクセスについて語るとき、人々は普通、経済的な情報または予算のことを考えるでしょう。間違ってはいませんが、これだけではありません。ある決定がなされた過程についての情報、政治的な決断や、公共政策が如何に確立されたか、なぜそれが確立されたのか、誰が決めたのか、そのプロセスに対する評価はあったのか、なかったのか、を知ることも含まれます。

これらすべては人々が知る権利をもつあらゆる民主的な社会の要素であり、われわれが擁護するものです。

それゆえ秘密法は民主主義を弱める所以です。秘密保護は過去の遺物とすべきです。過去には、秘密保護は権力者を守るものと考えられていました。権力は神から皇帝へ、皇帝から市民へと引き継がれました。そして誰にも質問を差し挟む権利がなかったのです。これは、日本でも王を戴いたヨーロッパでも同様でした。

しかし、民主主義を確立するときには、これは逆です。権威は、人々に由来し、選挙によって選ばれた代表に委ねられます。そして、権威とは信頼を意味します。人々は選挙によって選ばれたか、あるいは指名された公務員を信頼しなければなりません。そして、信頼とは透明性を意味します。人々は何がなされたのか、誰が決めたのか、なぜそれらの決定がなされたのか、を知る権利があります。ですから、秘密保護の出番はもはや無いのです。

もちろん、例外はあります。他の個人の権利を保護するためという例外、ある特定の時期における国家安全保障のための例外、犯罪捜査の期間という例外などです。

しかし、これらは特定の短期間のことです。基本は公開であり、誰でも情報にアクセスできなければなりません。ジャーナリストは特にそうです。なぜなら、ジャーナリストは、新聞なり、ラジオなりで広く一般にきちんと報道するために、調査に基づいて情報を得ることが出来なければならないからです。

それで、私が考えるのは、公の情報は公共財だと認識すべきだ、ということです。公の情報は市民に属するのです。ポケットに仕舞込んで隠す人には属さないのです。このことが、秘密保護を、人々の利益に対立するもので、民主主義にも対立するもの、つまり本質的に反民主主義だ、と私たちが強く主張する所以です。

そのため、私たちが民主主義を確立するとき、情報へのアクセスを規定した法律が不可欠なのです。例外はあるかもしれませんが、必要最小限の例外です。そして例外は次の3つのルールによって規定されなければなりません。1)法によって明文化されたものであること、2)損害や他の人権侵害を防ぐために必要であること、3)そして、均衡が取れたものであり、秘密保護期間は、その人権を守るためだけの限定的なものでなければならないということ、です。

何でも禁止してしまうこと、何でも秘密にしてしまうことは、何度も言いますが、情報にアクセスする権利の侵害です。これは、国連人権委員会決議の原則ばかりではなく、欧州人権裁判所や米州人権裁判所のような地域裁判所でも、守られてきた考え方です。したがって、きわめて明確に定義されたものです。

これが、秘密保護を根絶し、情報へのアクセスを維持し、絶対的な透明性に到達するために日本でされている、皆様の活動に対して私が祝意を表する理由です。皆様は、貴国の未来のために活動されているのだと思います。
世の中の出来事がどのようにして起こったのかについて完全に知ることが出来、市民権を完全に行使する人々だけが、未来の民主主義システムを真に構築することが出来るのです。

皆様に栄光あれ。

(和訳:津田秀一、高田洋子、藤田早苗)




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